「山は富士 湖水は十和田 広い世界にひとつずつ」「住まば日本(ひのもと) 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬三里半」の歌とともに、十和田湖や奥入瀬を世に広く紹介し、国立公園の指定に尽力した明治・大正時代の文豪「大町桂月」が縁で、旧十和田湖町が高知県土佐町と昭和60年6月21日に「姉妹都市」を締結しました。
桂月は、高知城の近く(現在の高知市)で生まれています。交流のきっかけとなったのは、ミニ文学館「桂月館」をもつ土佐町の土佐酒造 澤田社長が、清酒「桂月」を桂月の命日に終焉の地である蔦温泉に贈ったことと、土佐町の熱心な大町桂月研究グループとの交流が行われていたことです。
また、旧十和田湖町と土佐町は、人口がほぼ同じであったことや、林業が盛んであるという産業の共通点、十和田湖と奥入瀬渓流をもつ旧町の「水の郷」に対し、「四国の水がめ」といわれる早明浦ダムと吉野川、そして、国指定の天然記念物のイチョウの樹があることなどの共通点が多かったことも姉妹都市締結の要因となりました。
締結以来、産業、文化、教育などの面で交流を続けてきました。なかでも、昭和62年から夏期は十和田市から土佐町へ、冬期は土佐町から十和田市への交流親善使節団として小・中学生の訪問、ホームステイによる交流を続けています。